異形頭に求める幻想

はじめに

メリークリスマス!異形頭アドカレ2022 25日目担当 白い人です。
※ご注意※ ただのオタクの早口なので、適当に流していただけると嬉しいです。話したいだけなんです…今日だけは(?)勘弁してください。 かなり個人的な「可能性」と「浪漫」の話に寄っている上、今後白い人の持論も変わる可能性もあるので本当に軽く…

異形頭はいいぞ

それでは本題

ここまで異形頭異形頭して、何を今更というところはあるとも思いますが やっぱり
「異形頭はいいぞ!!!」
…となりますね。異形頭が「良い」っていうのは真理なので仕方ないのですが。白い人的に異形頭の一体何が良いのかというところを深掘りしていきます。…つまり今回は白い人の異形頭に対する個人的な癖とこだわりについて書き連ねて行こうと思います。

個人的に考えている異形頭の「良さ」

まず異形頭の何が良いというと、彼らが「物であり、ヒトである」ということ。見た目からハイブリッドだったりする彼らは、生物とただの物の境界線の真ん中に彼らは立っていて、この時点で思考の幅が生まれていきます。各々の解釈によってどちらかに寄ってみたり、結局どちらでもないなにかになったり、いくらでも考えることができて可能性が広いなあと感じているのです。

ここでまず白い人が良さと称して提示したい可能性の一つが、生物の常識からの開放としての異形頭。彼らは生物と非生物の狭間にいるわけで、どちらの性質も持っていても良いのでは?と白い人は考えているのですが、だったら生物の見た目をしていながら生物の性質が殆ど無であってもいいのではないかとも思っています。…少し白い人がそもそも「生物」そのものに妙な嫌悪感がありまして、生物という枠から開放されたいという変な願望があるのです。それ故に…どうしても異形頭に「非生物性」を求めてしまうのだと思います。…個人的な浪漫なので勘弁してください(?)

次に白い人が好きなタイプが人間のなり損ないとしての異形頭。これは生物になろうとしてなりきれなかったタイプかなと考えています。中途半端でどこにも属すことができないという感じの、複雑な境遇を抱えていそうなタイプだなと考えています。どうあがいても人間にはなることはできない彼等。その頭の存在が、その異形頭という歪みそのものが、その歪な存在に刻みつけられて消えることのない傷が本人を苦しませ続けるのでしょう。人間から度々「なりそこないが何しても我々にはなれない、諦めたら良い」と心ない言葉を打ち付けられ、でもそんなことは本人が一番わかっているという構図がよく見られそうです。彼等は深い諦念のうちに、道端に横たわっている可能性もありそうだなと考えています。

あとは、人間の根底意識からやってきた異形頭というのも大好きです。人間の醜態部分をそのまんま写したものでもいいし、集合的無意識から形作られた社会の闇の権化みたいな異形頭とかでもいいですね。またマンデラ効果に基づいたような異形頭もいてもいいでしょう。兎に角、存在そのものが風刺といった感じの異形頭を描いたり考えたりするのが好きです。これ、欠点として考えていると自分も精神的に負傷することがあるのですが、そういった後ろ向きの攻撃性でしか得られないプラス養分は確実にあると思います。

こうだったら嬉しい「異形頭」

これは完全に白い人が一人で抱えてる浪漫なんですが…いや先述のセクションも同じようなものなんですけどももう少し踏み込んで話させてください。先程も申し上げたように、生物の形していながら生物の性質がないというのがとても大好きです。ここを主軸にもう少し話を展開します。

で、まず生物といえば三大欲求ですが、まずこれがないと良いなあと思うのです。つまり「寝ない」し「食べない」し「性欲もない」というところですね。完全に白い人の願望の反映ではあるのですが…非常に個人的で情けない話、これらの三大欲を常日頃から非常に邪魔に感じており…生きるための行動というのが面倒くさいなあと感じてしまう今日この頃でして。それを異形頭に求める傾向があるというかそのような感じです。生物の道から外れた彼等ならその可能性があるのではないか?と思うのです。となるとどこから動的エネルギーを得ているのでしょうか…。

次にこうだったらいいな、というのが「痛覚がない」というところ。物って神経が通ってるわけも無いので痛覚も感じない。痛覚とはそもそも、生物が生命の危機を感じるための危険信号であり、「生きる」という必要性がない物の場合は痛覚は無くて当然。異形頭で物の性質が強い場合は生きるというところに執着がなさそうであるというところからの推察と願望です。痛覚がないのである日突然ぷっつり事切れる(?)可能性があるのですが、いかにも非生物らしい挙動でいいですよね。

「脳も神経もないから異形頭は痛覚を感じないのさ」
「じゃあ彼らの『意識』ってどこからきているんだい」
「我々の集合意識かな?」
「だったら痛がるっていう概念もありそうなものだけどなあ」
「たしかになあ」

また、感情がないとより不気味さが増して、異形頭の浪漫だなと個人的に感じています。大抵の生物(動物)は感情という衝動の基に生きています。感情は本能であり生きて行く為に重要な機構でも在ると言われていますが、そんな本能は非生物には必要ありませんよね?なんて白い人は思っているのです。結局彼等有機物の人型をとっているだけで根本は非生物、非生物は「生きる」必要はないので感情が発生しうる何某もないのでは?と考えたりしています。白い人的に感情というのは大抵邪魔にしかなりません。感情に振り回されることのない異形頭らが羨ましいな…と白い人は常々思っています。

抵抗意識がないというのも異形頭っぽいなと個人的に考えています。といいますのも、そもそも物は押されようが引かれようが壊されようが、抵抗することがないからです。つまり人形のような感じでしょうかね。人間のように生きているようで、生を阻害するものに対して抵抗しなければならないという認識がない(必要性を感じない)という様であるのが非常に好みに合致しますね。結局のところ身体の形だけが人間なのであって本質は物なのだから、物は物らしくやられるようにやられていればよい、というところなんですかね。

上記に付随して、そもそも自我が無いという異形頭も好きです。一般的に考えて物に自我があったら怖いじゃないですか…とか思うんですけどね。人の形をとって生物たらしく動くというだけで、勝手に自我があると認識する人間が悪い(主語がでかすぎる)。

おまけ:白い人の自創作と葛藤

前セクションで申し上げました「異形頭は自我を持つべきでない」「異形頭は『生きていない』のが理想」という超個人的な幻想と、自創作が相反するもので自分の中の矛盾で苦しいという話です。

そもそも「キャラクター」というのは"それぞれ自我と意識があり、目的をもって生きる"という存在だと思うんです。そう、自分が掲げる理想論と真反対を行くんです。キャラクターに性格をつけて、名前をつけて…とやっていると確実に先述した「白い人が理想とする異形頭像」から離れていく様に感じてしまいます。その点では創作と称して名前をつけたりした彼等は白い人のなかでは「失敗作」にあたるんですよね。

でもいまのところ、愛着が湧いた異形頭には"生きている姿"を思い描いてしまうのです。こういうところから中々、私そのものにも中々の不完全さと矛盾性を感じたりして苦しいところがあります。物であるはずの異形頭への愛着が湧くというのは、もしかしたら異形頭という概念に取り憑かれている可能性もありますね…。

おわりに

異形頭という存在が不確定で在る故に各々の思う様々な異形頭像が存在しているわけで、兎にも角にも「異形頭」というものは可能性が無限大です。本当に異形頭って、いいですよね!(n度目) ありがとうございました。

お礼

今回この企画にご参加ご協力してくださった方々、また企画コンテンツを見てくださった方々、本当にありがとうございました。人徳からなにから不足している白い人の企画で立案時はアドカレとして成立できるのか非常に不安だったのですが、皆様のご協力のお陰もありまして25日分の枠を無事に埋め切ることができました…!重ねてになりますが本当に感謝いたします!

また機会あって企画することがあれば、その際はまたよろしくお願いいたします。

それではまたどこかで。

白い人