割れ物の異形頭と破壊現象について

この記事について

この記事は 異形頭オンリー Advent Calendar 2023 14日目の記事です

こちらの記事は、異形頭に対してかなり個人的な偏見と理想と浪漫が凝縮されています。また、言葉や文も拙いところが多く有ると思いますので、合わないと思った方は静かにブラウザバックされるなど自衛対応をお願いします。

前書き

割れゆく異形頭について、今回はお話しようと思う。 割れ物の異形頭はその性質上非常に儚い存在だ。異形頭というのは、大抵その価値は「頭部」にある。その非常に重要な部分でも有る頭部が一番脆く壊れやすいというその様は刹那的でそれならではの良さを感じられるだろう。

この異形頭の頭部の破壊については美しさ等の浪漫以外でも、異形頭そのものの現象についても確定性が低いため以前より研究・観測が行われている。何がそこまで「異形頭の破壊」が研究考察が活発にさせているのか。様々な視点から考察を行っていく。

破壊、その良さ

まず、割れる異形頭は何が要因で「良い」と感じさせられるのかについて、物理と内部の二点より整理してみる。

物理的な破壊

まず、そもそもの物理的な破壊の際の良さについて話を軽くしよう。スローモーションで破壊される硝子だったり容器だったりの映像や、その割れはじめの止め画にはある種の趣があり、好きな人も少なくはない。

その中で個人的に破壊に於いて重要なポイントの一つとして考えているのは、壊れ始めの破片が散り始めるその瞬間だ。往来のもののカタチを僅かに残しつつ、もう二度とその状態に戻ることはできないという瞬間であるが、その際に宙を舞っている細かい粉のきらめきや、断片の輝きが良いと考えている。

また、割れる要因も様々で、落下や圧迫、衝撃や熱・音波などの現象まで様々な要因によって割れることができる。外部衝撃の一種である弾丸が当たった際の硝子の散る様も見甲斐がある。このように割れ物の破壊の良さについて探していけば良いところはキリがない。割れ物が物理的に破壊されるというその図そのものが、そもそも非常に魅力的なのである。

内部的な破壊

上記では物理的な面での破壊・破片について言及したが、思考的な面についての破壊にも触れたい。これは物ではなく「異形頭」を対象にしているからこそ上げられる論点である。

ヒューマノイドに於いては、頭部というものはかなり個を表現・認識するためのパーツとして重要度が高いと捉えられやすい。その個の象徴である頭部が壊れる瞬間、というのは「個性・人格」の物理的な破壊と見ても違和感が無いように感じる。精神破壊というところを頭部の物理的破壊で表すというところだ。

この精神と物理の「二重破壊」は一見して過激に映るかもしれないが、その破片が散る美しさと実際に起きている事のギャップなどから、その現象が美しいと錯覚してしまう、魅力に取り憑かれてしまうという人も珍しくはない。この精神の破壊については下でもう少し詳しく検討してみる。

頭部破壊という現象が表すもの

先述した頭部破壊についてだが、一体どのような影響があるのか、その「意味」について、もう少し考察を行ってみる。実際にはただの物理的に壊れてしまっただけであり特に脳みそなどがあるわけでもないので活動に問題ない、といったようなものも多くあり、異形頭は人間とはかなり構造が異なるために様々な相違点が考えられうるためだ。

精神の破壊

心、というと大抵は心臓あたりを指したりもするが、結局のところは頭での処理結果が精神であったりする。また、上記項目で触れたように頭部というものはアイデンティティとして中心によく添えられるている。その自我の象徴でもある頭部の破壊というのは、非常に内部にはクリティカルなダメージとなる象徴として捉えることが可能だと考えている。

アイデンティティの崩壊というものは、事故の如く意図しないタイミングで突然やってくるもの。精神は常にその危険性にさらされているというところでは、人間も異形頭に近いような生態をしているのかもしれない。最近ではそれに関する考察や、更にはそれを裏付けるような調査報告が増えて来てもいるが、この点についてはまだまだ新しい報告は増え続けているため注意を向けておく必要がある。

記憶の崩壊

頭部というと人間で言えば脳という中枢であるが、思考の中枢とはまた別で「記憶媒体」でもある。物理的に例えれば、文字ベースならノート、機械的に言えばHDD等のストレージだったりする。そういったところが異形頭にも適用されていたとしたらの場合についても考えられやすい。

ノートで言えばぎっしりと文字が書かれたページの一部が破られ、にじみ、焼けて抜け落ちて読めなくなるように情報が欠損し読めなくなってしまった場合、その情報は抜け落ちる。脳みそに状況を置き換えて考えてみれば「記憶喪失」である。滲んだような情報の欠損はどうあがいても修復は難しいだろうが、破られて抜け落ちたところの文字は読めるようなパターンも考えられる。

もし、ノートの破られた部分のように割れた頭部の破片の一つ一つに部分的な記憶が記録されていたとすれば、つなぎ合わせる・その素材で作り直せる場合にその記憶を有するのかなどまだ研究は進んでいない。特に修復の手法についてと合わせて更に今後研究が進められるだろう。

ただの物理現象

もう一つ異形頭特有のものとして、ただの物理現象で「ものがこわれてしまっただけ」であり何も殆ど問題がないというところである。人間で言えば、「ちょっと髪の毛が焼けてしまった」「爪が割れてしまった」というようなカタチで、多少問題が発生したとしても特に問題がないというところである。

その存在にとって大切な箇所や中枢というものが別であるのか、それとも元々何も崩壊・破壊するようなものがなくて通常通りに活動ができるのかというところで、このタイプの異形頭についてはなかなか発見報告・観測報告も少なく確認が進んでいないようである。報告確認・観測はここでも引き続き進めていきたい。

異形頭の態度について

また、異形頭の破壊に対する態度についても触れておきたい。生物であれば「生存本能」というところから自分が破壊される(外傷を負わされる)ことに対して抵抗・回避するだろう。だが、物というものは基本的に破壊という外力に対して抵抗するという事はない。

一部ではその性質を「物」である異形頭がただの「物」として持っているのではないかと考えられている。その破壊に対して「抵抗感」があまりない姿に、生物のカタチを取りながら生物ではないような歪さを表現しているのではないかという考察も出てきている様だ。

無抵抗さというところでの「歪さ」について、私個人としても非常に浪漫を感じている。勿論自分の風貌に自信を持っているような、物らしからぬ自我がある異形頭であれば抵抗もするであろう。それもそれで味があるだろう。

あとがき

今回は「割れ物」というところから「破壊」までの意味まで考察を行った。「破壊」というのは「割れ物」以外でも、物理的に触れることができ存在するものであれば何にでも当てはめる事ができる。是非この「割れ物」の良さや「破壊」の良さについて共感した方は、さらなる考察・観測・報告を検討してみてほしい。