異形頭は「理解」してはいけない

はじめに

この記事は異形頭オンリーAdventCallendar 2023 25日目の記事です。

挨拶・おことわり

こちらの記事は、異形頭に対してかなり個人的な偏見と理想と浪漫が凝縮されています。また、言葉や文も拙いところが多く有ると思います。合わないと思った方は静かにブラウザバックされるなど自衛対応をお願いします。

異形頭と不確実性

タイトルでかなり大々的な仰々しい文字列を並べてしまったが、あくまで個人の理想の話である事は念頭に置いておいて欲しい。

大抵の新しい未知のものが発見された場合、ある程度の動作や現象には法則などが決まっていたりしている。予測に基づいて分析・理解され正体と対処方法が判明していくと人間の注意・興味というものは失われていく。最終的には、その常識によってそれまで「異常」だったものは法則に基づく「正常」であると認識されてその感覚が忘れられていく。

私個人としては、異形頭にはそのような「いずれ理解できるもの」としては存在してほしく無いのだ。彼等には「理解できないもの」として、「未知のもの」として人々の中に存在し続けて欲しいと考えている。

亡霊辺りがよく「科学的(論理的)には理解できないもの」としてよく連想できると思うが、異形頭はまた別の不安定性によるある種の恐怖を抱かせる「何か」を持っていて欲しいのだ。これもまた分かる人にしかわからない表現になってしまうが、オカルト板の怪談、都市伝説の様な感じの絶妙なリアリティと空想の境界線から来る不気味さを持っていて欲しい。

極論、「異形頭を知るという事がタブーである」という所か。

極端に表現すれば、知るという「罪」を知った上でも愚かに抑えられない探究心によって彼等を追いかけようとする。この構図含めても面白いだろう。そう、未知というものはそういう誘惑を与えてくる。

「理解」をしたがる存在達

そんな人間にとって常時「未知」であり「異常」である不確実な何かが常に身近に存在し得るというのは中々脅威だろう。人間にとって…というより生存する事が優先事項である生物にとっては 未知 ≒脅威 なのだ。故に当然「知ろうとする者」が現れるだろう。特に思考能力に長けている存在ほど余計な探りをいれがちなものである。こうして何度も異形頭を観察し続けたり解釈を深めていこうとする動きは繰り返され、その後を追おうという人も多く存在している。となると、かなり彼等の解釈は進んでいるのではないか、と思われる人もいるかもしれない。

だがしかし、様々な知見や推測が積み重ねられたところで、それでも異形頭にはそういう「常識」の中に囚われてしまうことはなかった。人によって、捉えられ方が180度も変わったりする程に彼等は不確実なのである。当然議論は常に交わされ、その都度知見は蓄積されるものの集まれば集まるほど情報量が増えるだけ。傾向こそ出そうと思えば出せなくもないが、真反対の話がある時点でこの話は収束することはない。他人には他人の見る異形頭と言うが、誰もが「自分の見たものが真実」と思っているのだ。(これはこれで大切なのだが)

何故異形頭に精通した者がいないのか。恐らく彼等を深く理解しようとした存在はどれもこっぴどい返り討ちのような現象に遭遇しているのだろう……とかだと面白いとも思ったりしている。この辺り、何も残らない故に検証しようがない為真偽は不明……だと更に良いかもしれない。まあ本当にそうだとしたら恐ろしいものである。殆ど形跡が残らないせいで報告数も少ないのかもしれない。

人間が真に理解できない理由

しかしなぜここまで異形頭が「理解」ができないのか。人間が異形頭を理解できないのは何故かについて少し考えてみた。

言語

人間というのは大抵が「言語」から文化を理解をしようとする。人間の異文化交流はまず言語とその特性からだ。その文化圏が何を重要視するかだとかも、言語の癖からも分かったりするあたりが顕著な例だろうか。それに対して、異形頭は「非言語的」だったりする例が多く見られる。この場合の異形頭というのは人間が思う「言語」というものを使わない。つまり、文化を知る糸口を一つ絶たれているということになるわけだ。これが理解できない要因として上げた一つ目。

常識

異形頭というものは一般的な生物からは逸脱していたり、そもそも物理法則に反する存在も居たりする。このように、存在そのものから人間の基調空間の常識が通用しないというところが、人間を「理解」から遠ざけているという可能性も考えられる。更に、「別の空間」から来たとしたら彼らの存在している空間の常識はより未知となるだろう。

感覚

上記に近い内容かもしれないが、異形頭が持っている感覚というのは常識同様に予測不能である。一見同じ感覚を抱えている様に見えたとしても、「彼らが模倣していた」という話も複数上がっていたりもする。故に、彼らがある現象に対してどの様に感じ・考えているのかは真に理解できていないのだろう。

不明性のベースを確立し、まず「知らない」を「知る」という試みの紹介だ。

※これらを更に追求し解ろうとする場合、こちらの責任は取りかねます

さいごに

異形頭は「理解」できない存在。或いは、「してはいけない」存在なのかもしれない。異形頭以外が分かることができないことを「理解した」ということになったならば、恐らくその時はすでに貴方は「あちら側」となっているということは、覚えておいてほしい。

スペシャルサンクス

年末のお忙しい中、今回のアドカレに参加してくださった方本当にありがとうございました。複数日担当などしてくださる方などのご協力もあり、なんとか今年もアドカレ最終日まで無事に完走することができました。再三になりますが本当にありがとうございました。

また機会があればよろしくお願いいたします。よい年末を!