異形頭は何故人型を取ることを選択したのか

はじめに

これは異形頭アドベントカレンダー2022 2日目の記事です。

前置き

まずここで話す異形頭とは、元人間といった異形頭は対象としていない事を明記しておく。 それを踏まえた上でこちらの記事を流してほしい。

本編

物体が自由に動くための体を得るため、モノを頭部として身体を作るとき人型を取る必要はない。もっと効率のいい形を取ることだってできるはずだ。 けれども彼らは人間の身体を模したり、それをベースに拡張することが多い。何故彼らはわざわざ人型をとるのか、様々な角度からアプローチをしてみる。

理由考察① 人間が近くにいるから

まず考えられる理由が人間が近くにいるため。異形頭としてまずよく描かれるのは、なんといってもハサミ・蝋燭といった道具や、電子レンジ・PC等の家電…所謂人間のツールである。彼らについてはそもそものベースの存在が、人間が何かをするために作り出され目的のために利用されるもの。人から人のために作り出されるなら、人間の形を取る様になるというのもまあ自然なことかもしれない。人が作り人が使うものなので、人の思念が刷り込まれているという考え方もできるだろう。所謂、付喪神のようななにかとして異形頭になるというもの。このルートで人型を取った異形頭は、人により能動的に尽くそうとするといったパターンがありそうだ。

一つ例を上げてみようか。ある作家が生涯に渡って大切に使っていた万年筆があったとしよう。その万年筆は作家が大切に使っているうちに意志を持つようになり、持ち主の手癖を覚えていった。当然であるがその作家は人間であるため、いずれ死んでしまう。だが物は、死というものがないので残り続ける。遺された万年筆は、いなくなってしまった持ち主の代わりに刷り込まれた記憶や知識・思念を基に、生前に作品にしきれなかったものを形にする為に、持ち主と同じ人の形を取りひたすらに紡ぎ続けるようになった…といったような感じだろうか。わざわざ人の形を取ってまで持ち主に従事しようとする道具たちという存在は、よく考えると中々律儀で、且つインパクトがあるようにも思う。

物本来の存在意義的に考えると、持ち主に対して尽くそうとする「特性」があるようにも考えられる。付喪神のように「恩返し」のような感情・心を持っている異形頭とは別で、異形頭はツールとしての本能の為に従事しているのであって、従事者本人に対して特別な意志は存在していないという事もありそうだ。そういうところで元が道具であるという様に存在が歪な感じが出てきて個人的に好みだが…この話については別でまた話したい。ツール系の異形頭らに悪意のある当たり方を持ち主が存在する話もよく見聞きするが、本能のために人型を取るようになったというのに当の持ち主から酷い仕打ちを受けてしまうというのは、救われない可愛そうな話にもみえなくもない。よく考えなくても人間から見れば不気味に見える風貌であるのに、自分は人に近づこうとする事に必死で存在の歪さ・不自然さに自覚がないというパターンでも中々に味がある。人間という存在の刷り込みにより、自分も同種の人間であるのではないかと勘違いを起こしてしまっている異形頭もいる可能性もあるだろう。

理由考察② 人間と交流するため

次に考えられるものは、異形が人間に興味を持って交流を取るべく最初に形から入っていくというもの、あるいは交流をする必要があるためにある程度受け取られやすい人に近い形になるというもの。漫画などでも、人間社会に溶け込むために人間の形を模してみるけど本当の姿は違いました…という人外を見かける事があるが、その類。

そもそも人間の常識として「言葉を使い、深い知性を持ち合わせているのは人間しか存在しない」という前提であることが多い。この厄介な性質によって、同種以外の同レベルの知性が干渉してくると、プライドなのか何なのかよく分からないが排除したがるような攻撃性が現れやすく感じる。交流が目的であるのに余計な前提が邪魔をしてしまう為、すこしでも人間側が受け入れやすくするために、人間外が合わせなければならないという厄介な構図である。形に拘る人間が面倒くさいとかいわない。

ただ、人外が人を模倣するので完全に再現するところには至らず所々が歪になり、故に頭部が異形頭になったり頭部以外の箇所も粗があったりするのだろう。人間は頭部の細かい各パーツの誤差範囲とも言える形状の違いで人格までイメージするが、人外はそもそもヒューマノイドの再現で手一杯でありそうだし、人間が一番気にする肝心の頭部が適当なんてパターンはざらなんて事もあるかもしれない。

理由考察③ 人型というスタイルが活動しやすい為

白い人が最後にあげるのは、人型が一番動きやすいから取ったというもの。そもそもの人間の形で二足歩行におけるメリットでよく挙げられるものが、道具を利用する手があるからというものがある。生物学的にみても、人類が直立二足歩行の進化で実際に勢力を強めたという点がその利便性とメリットを物語っている。これに関しては様々なメリットが推測されているので、気になる方は学術記事などを参照してより深掘りしても面白いだろう。

この理由である場合、もしかしたら人間という存在を意識せずに同じ形状を取るようになっていったという事象もありそうである。この場合異形頭側にも人間という前提が居ない為、人間と異形頭が邂逅を果たしたりお互いを認識したときのパターンの幅が増えると思うので、より想像することが捗りそうだ。

さいごに

ここで白い人が挙げた内容はほんの少しの推測にすぎない。考えればまだまだ様々な理由が見えてくるはずだ。異形頭について考えるときは、なぜ彼らが人の形を取っているのかという背景まで推察してみるのも一興だろう。